2018年01月19日

いたくないわ」リッキイの両眼

  ておきたいんだ」ぼくは自分の書いた譲渡の委任状を細かく裂いて、その破片をポケットにつっこんだ。こんな別々の手続きにしておいては、いとも簡単にベルに乗じられてしまう。ぼくは証券の裏を返して、裏面の譲渡形式をよく読みなおし、規定の記入欄を埋めて、直接アメリカ銀行宛に委託するように書きあらためた。


  「リッキイ、きみのフル・ネームは?」


  「フレドリカ・ヴァージニアよ。フレドリカ・ヴァージニア・ジェントリイ。おじさん知ってるじゃない」


  「ジェントリイじゃないんだろう? さっき、きみはマイルズの養子になってないっていったじゃないか」


  「あら! そうだわ、あたし、ずうっとリッキイ・ジェントリイっていってたもんだから、癖になっちゃったのね。あたしのほんとの名前ね? お祖母さんとおんなじよ、あたしのほんとの父さんの名前と。ハイニックっていうのよ。でも、だあれもそうはいってくれないわ」


  「そのうちいってくれるようになるさ」ぼくは書いた。“この証券は、フレドリカ・ヴァージニア・ハイニックが二十一歳の誕生日を迎える日に再譲渡されるものとし、その間アメリカ銀行に信託する”そしてふと、もしあのままにしておいたら、いずれにしろリッキイの手にこの証券は渡らなかったのだと思い当たった。背筋を、ぞっと悪寒が走った。


  署名しかけて、ぼくはまたもや舌うちした。証印がない。ぼくは時計を見た、しまった、もうこんな時間なのか! ぼくたちは、知らぬまに、一時間の余も話しこんでいたのだ。そのとき、わが番犬女史が事務所から首をつき出した。「保母さん」


  「はい?」


  「このへんに、公証人はいないでしょうか? やっぱり村まで行かないとだめですか?」


  「わたくしも公証人ですよ。なにかご用ですか?」


  「すごい! 証印を持っていらっしゃいますか?」


  「肌身離さず持っていますよ」


  そこでぼくは彼女の目の前で署名し、彼女が署名して、二人の署名の上に証印を打ち出した。ぼくは心の底から安堵の溜息をついた。さあ、ベル、これでも改竄できるものなら、やってみるがいい!


  保母の女は、好奇の目を証券に注いだが、さすがに質問はしなかった。ぼくはことさら厳粛な面持ちで、「不幸というものは必ずおきるものです。その場合の用心ですよ」といった。女はわかったようなわからないような顔でうなずいて、また事務所に戻っていった。


  ぼくはリッキイに向きなおった。「これを、きみのお祖母さんに渡すんだよ、リッキイ。そして、アメリカ銀行のブロウリイの支店に持って行くようにいうんだ。あとのことは、銀行でみんなやってくれる」そういって、リッキイの前にそれを置いた。


  だが、リッキイは手もふれなかった。


  「それ、お金でしょう?」


  「ああ。かなりのお金になるよ。この額面以上のものになる」


  「あたし、そんなものいらない」


  「そんなこといわないで。ぼくがもらってほしいんだよ」


  「いらないわ。もらいたくないわ」リッキイの両眼に、ふいに涙があふれ出て、声があやしく震えた。「おじさんは行っちゃうんだもの――これっきり帰ってこないで――あたしのことなんかどうでもいいんだもの」リッキイはしゃくりあげた。「あの女のひとと婚約したときとおんなじだわ。あたしやお祖母さんと一緒に来てくれればいいのに、ピートも連れて……おじさんの意地わる。あたし、おじさんのお金なんかいらないわ!」


  「リッキイ、聞きわけをよくしておくれ、ね、リッキイ。もうおそいんだよ。ぼくが持っていようと思ったって、もうだめなんだ。これはもうきみのものなんだよ」


  「そんなこと、おじさんの勝手だわ。あたしはさわるのもいや」リッキイは、そういうと手を伸ばしてピートの背を撫でた。「ピートだったら、あたしを棄ててなんか行かないわね。おじさんが連れて行ってしまうんだわ。あたしには、もうピートさえいなくなるんだわ」


  ぼくは嗄《しわが》れた声でいった。「リッキイ……リッキイ・ティッキイ・テイヴィー……きみは、そんなにピートと……それからぼくに会いたいかい?」


  リッキイの返事は、低くて、ほとんど聞きとれないほどだった。「きまってるわ。でも、だめなんだわ」


  「だめじゃない」


  「え? だって、どうして? おじさんは、三十年も長い冷凍睡眠《コールドスリープ》に行ってしまうっていったじゃない?」


  「そうだよ。行かなくちゃならないんだ。それはどうしようもないんだが、ぼくのいうことを聞けば、ちゃんと会えるようになるんだよ。リッキイは、お祖母さんのところへ行って、しばらく、いい子で学校に行ってお勉強するんだ。そのあいだに、このお金が、どんどんたまる。そしてきみが二十一になったとき、もしきみがまだぼくたちに会いたいと思ったら――そのときは、きみも冷凍睡眠《コールドスリープ》に来ればいいんだよ。そのためのお金は、もう充分たまっている。そして、きみが目を覚ましたら、ぼくがちゃんとそこに待っていてあげる。ピートとぼくと、二人で待ってるよ。約束するよ、げんまんしてもいい」


  リッキイの表情は明るくなったが、それでも微笑は浮かべずに、彼女はしばしのあいだ黙って考えこんでいた。




Posted by gfhgh at 14:06│Comments(0)
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